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ことばのしずく 

先月の26日に叔父の法事に福山に行ってきました。 父の実家は曹洞宗なんですが、父もその叔父の家も何故か浄土真宗。
父が浄土真宗にしたのは、母が浄土真宗だったのと、私が1人娘なのでいずれは父母の仏壇・お墓の守をしなくてはいけないからです。
主人の実家も浄土真宗なので、私の両親の死後、同じ宗派の方がよいと思った結果です。

でも、そのとき、そんな簡単に宗派を決めていいのかな?
とか、
私たち(主人と私)がそんなに宗教心がないのに、仏教徒に安易になっていいのかな?
とか、チラリと悩みました。

宗教というものを真剣に考えたことはなく、代々そうだからとか、親の宗派だから、親の宗教だから、とかで決めていいのでしょうか・・・

という疑問を感じても、宗派・宗教の勉強をするわけでもなく、「長いものには巻かれろ」状態で宗派も決まりました。

で、父が亡くなったとき、少し浄土真宗のお勉強しましたが、「これは、これでいい宗教だわ」とやや納得。
でも、ほかの宗教・宗派もお勉強すれば、もっと違ったのかもしれませんが・・・

さて、叔父の家がなぜ浄土真宗になったのかわかんないのですが、今回のお寺さんが非常によかったので、ちょっと書いてみようと思ったわけです。

とても弁のたつお寺さんで、わかりやすくお説教されました。
根が単純なので、すぐ感心します。

で、そのお寺さんが発行されている「ともしび」というしおりをいただたのですが、それに書いてあることが実に身に覚えがあることばかり。

たとえば
「私がなんとなく過ごした一日は、昨日亡くなった人が心から行きたいと思った一日ではなかろうか」

「親ほど喜ばせ易いものなし、子ほど喜ばせにくいものなし」

最後に、相田みつをの「憂い」という詩がとても心に響きました。

「むかしの人の詩にありました。
 君 看よ    双眼のいろ
 語らざれば憂い無きに似たり

 憂いがないのではありません
 悲しみがないのではありません
 語らないだけなんです
 
 語れないほどふかい憂いだからです
 語れないほど重い悲しみだからです

 人にいくら説明したって
 全くわかってもらえないから
 語ることをやめて
 じっと こらえているんです

 文字にもことばにも
 到底表せない
 ふかい憂いを
 おもいかなしみを
 こころの底ふかく
 すっしりしずめて
  
 じっと黙っているから
 まなこが澄んでくるのです

 澄んだ眼の底にある
 ふかい憂いのわかる人間になろう
 重いかなしみの見える眼を持とう

 君 看よ    双眼のいろ
 語らざれば憂い無きに似たり
 語らざれば憂い無きに似たり」
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