ベトナム旅行 NO-5
毎日、アホみたいに楽しい旅行の計画ばかりたてていました。
ひとまず、アウトラインが出来たので、ゆっくりといろんな人の旅行記のブログを読んでました。
ある人の旅行記を読んで、ある意味ちょっとショックをうけてしまいました。
「やがて屋台にいる間、ひっきりなしに身体障害を持った乞食がやってくる…。酔っていたから余計に胸が締め付けられて涙が不意に出てしまった。表面的には自由経済の発展を謳歌しているホーチミンだったが、社会的弱者を置き去りにし、貧富の差は確実に拡がっているのだろう。平等を唱うはずの社会主義国で、彼らのような存在がいることに矛盾を感じても、単なる旅行者としてその場にいる自分が、どう関わっていいのか分からずにいる。それがまた悲しかった。10円あれば彼らはパンが食べられるだろうし、次々と出会う乞食全員に喜捨したとしても大した金額にならないだろう。でも、一日生きるだけのお金を恵んだところで、何も変えられない。ベトちゃん、ドクちゃんのように手厚い看護と福祉を受けられる人もいるのに、私の目の前にいる人たちは何故…?
こんなとき、どうすればいいのか?10年前、インドのカルカッタで乞食の列にショックを受けて以来、私は明確な答えがわからないままだ。」
なんだか、複雑な気持ちになりました。こんなことはわかっていることなんですが。発展途上国はどこでも抱えている問題です。
私が、子供の物乞いに初めて遭遇したのは、パキスタンのカラチの空港前でした。
皮膚病の子供もいて、とても悲しい気持ちになりました。
その時は、旅慣れしている方たちと一緒だったので
「これが現実だから、うけとめてね。でも、お金を渡してはだめよ。一時の旅行者のお金を得たとしても、根本は変わらない。むしろ、旅行者にねだればお金が得られると思って労働意欲をそぐことになる。かわいそうでも、無視すること。帰国して、彼らの生活向上の支援を考える方がよいことなのよ」と言われました。
翌日のカラチの市場では、もっとショッキングな光景に合いました。
カラチには、ほとんど日本人の観光客がいなかったのですが、6人くらいで市場に行きました(危ないからやめた方がいいと添乗員に言われた気も・・・)
市場の地面は当然、土です。雨が降った後なのか、少しドロドロでした。
その道に、両足がないためにいざりながら物乞いしているおじいさんがいました。
今の日本に「いざり」の方なんていませんよね。
そんなドロドロの道をいざってでも物乞いしないと生きていけないんでしょうね。
これは、もう衝撃でした。
パキスタン旅行は、エジプト旅行にくっついていたものなんです。
目玉は「モヘンジョダロ遺跡」が見れることでした。
ところが、治安の安定してないパキスタンなので、急遽取り消しになったんです。
でも、「モヘンジョダロ遺跡」が見れなかったけど、、パキスタンのその時の国の様子がわかったことがよかったと後で感じました。
昨年、上海に行くときは「どんなのかな~」と危惧しましたが、上海は近代化している部分しか見なかったせいか、物乞いの人に遭遇しませんでした。
でも、やはりショックをうけるシーンはありました。
近代都市になった上海の外灘。ヨーロッパの租界時代の立派な石造りの建物は健在。建物の中は、こじゃれたお店・ブランドのお店。
そんな外灘に、若いお母さんが1才くらいの子供を連れて、ホームレスをしてました。目を疑いました。子連れの若いお母さんです。
薄汚れた格好で、顔もかなり汚れていた2人なので、ホームレスのようでした。
「あんなに若い娘さんがなぜ??」と疑問と悲しさでいっぱいになりました。
子供におしっこさせた後、小さな缶を持ってどこかに消えました。
その缶に、少しでもお金を入れたい衝動と戦っているうちに彼女はどこかに消えたんです。30メートルくらい離れたところから見ていたので、私の気持ちは見えなかったのかもしれませんね。
ハワイにもホームレスがいたのですが、不思議と南国で見るせいか、悲壮感がなかったんです。息子と2人で朝早く散歩していたときに見たんですが、
「ハワイのホームレスは暖かいから凍死することがないから、いいね」と言う息子の言葉に妙に納得したので、悲壮感を感じなかったのかもしれませんね。
というわけで、上海より発展途上国特有の悩みを多く抱えている「ベトナム」ですから、きっといろんなことに遭遇しそうですね。
香椎由宇の番組も、さすがNHKだけあって、ベトナムの抱えている問題は定義して製作してありました。
1986年に始まったドイモイ政策についても話題にしてました。
ドイモイとは、経済(価格の自由化、国際分業型産業構造、生産性の向上)、社会思想面で新方向への転換を目指すものです。
これによって、経済は発展するのですが、貧富の差は拡大します。
ドンコイ辺りに店を出している人は、ドイモイによって富裕層になったベトナム人と外国人です。安い賃金でいろんなものを作製させたり仕入れたりして、ドンコイという付加価値をつけて、値段は高くなり、富裕層はまた豊かになります。
そんなドンコイに行って喜んで買ってしまう私なんです。
ちょっとミーハーすぎて、恥ずかしく感じるのも事実です。
でも、少なからずみんな発展途上国に行くと、複雑な想いになりますよね。
この記事へのコメント
もちろん、海外へ行ったときにもありましたが、
実は、毎日の生活と隣り合わせのところ・・・
地下通路や公園などにいる浮浪者を見ると、
えも言われぬ気持ちになります。
中には好きでそうしてる人もいるのかもしれませんが・・・
何もできない自分ややり場のない気持ちを
どうすることもできずに持て余してしまうんですよね。
母が目の硝子体の手術を16日にし、どういうわけか兄がその日から東京に戻り(早割でチケットをとってたみたいなんですよね)男ってホントにあてにならんね。と思いながら、なんとか無事におわり二日ご退院するというその日の未明、枕元の携帯が鳴り、(父に何か?)と取ると、夫の弟、義弟は奥さんを癌で2年前に亡くし、ひとり暮らしなんです。近くに住んでいるので、夫を起こし急いでかけつけ、救急車で総合病院に運びました。なんで娘(娘が二人いるの。)でも夫でもなく私なん?って思ったら(すぐ起きてくれる人に電話した)とのこと読まれています。入院の準備や手続き、同じ日に母の退院の手続きや家のこと。ホント波乱万丈の毎日です。これっていろんなこと抱え込んでしまう性格だから・・・と納得しました。でも看病されるより看病するほうが絶対いい! と自分に言い聞かせました。あなたのブログに返事したいこと、犬の散歩のときに頭の中にいっぱいかいているんだけど、おいおいゆっくり書いていきます。
私は元気にはしりまわっています。そして3月末に東京にいくので楽しみを計画中です。
というより、今でもその場面に遭遇するとそう思うでしょうね。
何回か出会ううちに、なれてくると言うか、自分なりに解釈して、お金はその場では渡していません。その代わり、帰国して「ワールド・ビジョン・ジャパン」に毎月4500円の寄付をしています。
そうすると、私の場合バングラディッシュの国の一人子の支援をすることになっています。もう20年くらいしているので、一人の男の子を育て上げました。いろいろあって、今4人目くらいかな?
こういう支援で貧しい国の子どもたちを育てることにお手伝いしていると思うと少しは、気が和らぎます。
その場しのぎはよくないと思うので、自分でできることを探して、今に至ります。
最近は住んでいる団地にもホームレスがいる時代になってきて、驚いてます。
日本も、格差社会が進んできてますね。
なかなか難しい問題ですね。
いろいろ大変だったね。
義弟さんは「すぐ起きてくれる人に電話した」と言われてますが、ほんとは信頼している人に連絡されたんですよ。
すごい信頼関係ですね。感心しました。
おそらく、しおちゃんがいままで人に誠実に接してきた証ですね。
大変でしょうが、その信頼を大切にしてね。
私は毎日、アホなことばかり書いてちょっと恥ずかしいけど、まあ、いろんな人間がいるってことで読んでね。
東京に行くのね。
お土産話を楽しみにしてますよ。
国分寺とかは行かないよね?
以前にもバングラディッシュの支援の話を聞きましたが、なかなか実行できるものではありません。えらいね。
もう4人ものお子たちを助けたことになるなんて、すばらしいですね。
私は、以前書いた「発展途上国の人たちを支援するお店」で買い物するぐらいしか貢献してません。反省です。
今回、おそらく上海よりそういう人たちを数多く見そうな感じですが、ちゃんと見て感じてきますね。